社史

まさご電機の創業者・真砂磯巳

まさご電機の創業者である真砂磯巳は、1927年(昭和2年)2月23日、和歌山県本宮に誕生しました。
当時の日本は、関東大震災から何とか立ち上がったものの、引き続き不況に見舞われている時代でした。
そんな閉塞的な時代の中、健やかに育った磯巳は、尋常高等小学校を卒業すると、早々と大阪へと出ていきます。
十三・三国の変電所に入社した磯巳は、電気工事士としての道を歩み始めることになります。
その後、着々と実績を積み上げた磯巳でしたが、奇しくも日本は1941年(昭和16年)に太平洋戦争へと突入。
終戦の翌年、戦後の混乱の中、磯巳は故郷に戻ることになります。
それでも確かな技術が求められる当時の日本において、磯巳は仕事に困りませんでした。すぐさま和歌山の関西電力の前身となる会社に再就職を果たします。こうして一歩ずつ確実に歩を進める磯巳は、まさご電機創業へと歩み始めるのでした。

創業前夜

旧知の仲がつないだ、独立への道

地元和歌山の会社に再就職した磯巳は、大阪・三国の変電所時代に知り合った高塚氏から声をかけられます。「奈良で電気店を開業したので、遊びに来るように」とのことでした。早速店を訪れた磯巳は、何気なく店を手伝います。
すると、磯巳の腕に一目惚れした高塚氏から「ぜひとも店を手伝って欲しい!」と請われる状況に。これまで地道に頑張ってきた磯巳の技術力と紡いできた絆が、導いた転機でした。

旧知の仲がつないだ、独立への道

電気工事士として、さらなる地力を磨いた7年

1946年(昭和21年)、磯巳は現在の株式会社まさご電機が本社を構えている奈良県王寺町へと引っ越し、高塚電気商会で働き始めることになります。
磯巳はここで電気工事士としての技術力はもちろん、営業力や経営力もどん欲に吸収し、着々と成長を遂げます。結果的に高塚電気商会で勤め上げた7年間は、後のまさご電機創業を支える大きな力となりました。

  • 創業期

  • まさご電気商会創業、妻・清子との出会いも

    1953年(昭和28年)2月に高塚電気商会を退職した磯巳は、同年8月28日に『まさご電機』の前身となる『まさご電気商会』を立ち上げます。一般的には独立してから事業が軌道に乗るまで時間がかかるものですが、まさご電気商会は違いました。
    開業と同時に、ナショナル製品販売会社及びナショナル月賦販売会社の営業担当者が訪れ、早々に取引が成立。まさに幸運といえるほど、順調なスタートを切ることになります。
    さらに創業から2年後、磯巳自身にも人生の大きな転機が。生涯の伴侶となる清子と結婚。まさに夫婦支えあってのまさご電機が出来上がった瞬間でした。

    まさご電気商会創業、妻・清子との出会いも

  • 確かな技術と営業力、そして時代のニーズを読み取る力で大きく成長

    日本は昭和30年代に突入すると、一般家庭にも家電が普及し始めます。日々新商品が発売され、技術革新もめざましい中、磯巳は電気工事士としての技術と営業力で、着々と客数を増やしていきます。その頑張りは、1958年(昭和33年)にナショナルテレビ30万台突破記念キャンペーンにおいて、松下電器より優秀販売店の表彰を受けたほどでした。さらに磯巳の強みは、技術力や営業力だけではありませんでした。それこそ、時代のニーズを正確に読み取る力こそ、最大の強みといえるでしょう。
    磯巳は高度成長期と呼ばれる時代においても、社会の盛り上がりに左右されることなく、一般客の状況に着目。やはり経済が成長していても、一般家庭にとって、家電はいまだに高嶺の花でした。そこで磯巳は、月賦販売を導入します。「月賦のまさご」を大々的に宣伝することで大きな反響を呼びます。こうした消費者のことを第一に考えた販売戦略こそ、まさご電機の大きな武器なのです。

    確かな技術と営業力、そして時代のニーズを読み取る力で大きく成長

  • 松下幸之助氏との出逢い

    確かな技術と営業力、そして類稀な販売戦略が功を奏し、優秀販売店に毎回名を連ねるようになったまさご電気商会は、いつしか「月賦のまさご」から「王寺のまさご」と呼ばれるようになりました。この頃の磯巳は、たびたび松下電器の本社から招待を受け、松下幸之助社長(当時)と会談するようになります。この際も、磯巳は恐縮するわけではなく、あくまでも消費者のことを考えていました。中でも、1961年(昭和36年)に門真の本社を訪れた際の出来事は印象的です。
    松下幸之助氏より炊飯器の販売状況を聞かれた際、磯巳は決して取り繕うことなく、消費者の反応を伝えました。すると、その意見がすぐさま改良のヒントに採用されることに。磯巳の人間性を熟知していた松下幸之助氏だからこそ、「消費者の代弁者」として心から信頼していたのです。

    松下幸之助氏との出逢い

  • 発展期

  • 株式会社まさご電機の誕生

    まさご電気商会は順調に売り上げを伸ばしていき、創業から16年後の1969年
    (昭和44年)8月、株式会社まさご電機へと組織改編を行います。
    すでに社員12名ほどの規模に成長していたまさご電機は順風満帆。オイルショックなどの経済的な不安要素もありましたが、ものともせずに成長を続けていきます。
    この頃になっても、磯巳自身は驕ることなく、仕事に没頭。あまりの働きぶりに松下電器から「一日でいいので休業日を作ってください」と言われるほどでした。

    株式会社まさご電機の誕生

  • 磯巳のがむしゃらさがつないだ、山下俊彦社長とのご縁

    1977年(昭和52年)、松下正治会長、山下俊彦社長体制へと移った松下電器ですが、実は磯巳と山下社長との関係はそれより古く、同氏が草津のクーラー事業部に籍をおくときまで遡ります。まさご電機は、奈良地区でのクーラー(エアコン)販売実績において群を抜いており、クーラー事業部の事業部長でもあった山下氏との親交が深くなっていきました。
    まさにがむしゃらに働き続けてきた磯巳の頑張りがつないだ縁とも言えますが、この縁は次代にもつながります。当社の現社長である北之坊裕史が松下電器へと入社しました。次代を担う経営者へと成長してほしいという、磯巳の、そしてまさご電機の深い願いが込められていました。

    磯巳のがむしゃらさがつないだ、山下俊彦社長とのご縁

  • 王寺大水害でも萎えない、磯巳のお客様第一主義

    順調に成長を続けるまさご電機ですが、1982年(昭和57年)に試練が訪れます。
    王寺大水害と呼ばれる、戦後最大の大洪水です。台風10号による豪雨が山尾川流域を襲った結果、まさご電機も大きな被害を受けます。倉庫に保管していた200台のエアコンが全滅してしまったのです。しかし、こんな時でも磯巳のお客様第一主義がブレることはありませんでした。「お客様はきっと困っているはずだ!」と思い立った磯巳は、セスナ機をチャーターし、「冷蔵庫・洗濯機の無料修理承ります!」と呼びかけたそうです。こうした自己犠牲ともいえる磯巳の想いは、現社長である北之坊裕史にも引き継がれています。

    王寺大水害でも萎えない、磯巳のお客様第一主義

  • 2大施策により、未来を見据えた転換期へと

    まさご電機は北之坊裕史を専務に迎え、より明確な中長期ビジョンを掲げるようになります。磯巳のお客様第一をより長く続けていきたいと考えた裕史は、2大施策を打ち出したのです。商品管理・顧客管理へのコンピューターシステムの導入と人材育成がそれにあたります。
    特に人材育成に関しては、裕史自身が奈良県下の20校にも及ぶ高校に直接足を運び、企業説明を行いました。次代を担う戦力を育てることで、永続的にお客様第一をつないでいける。こうして、まさご電機は企業として、現在だけでなく、未来も見据えて歩き始めました。

    2大施策により、未来を見据えた転換期へと

  • 拡大期

  • 家電のプロから、住環境すべてのプロへ

    「家電製品を購入する機会は、住まいづくりと切り離せない」と考えた裕史は、中長期戦略の要として、住宅建築と連動した販売網の構築へと取り掛かります。商品知識だけでなく、電気工事技術や住宅に関する技術・ノウハウを有した人財があってこそのビジネス提携です。家電の販売だけでなく、配線からカラーコーディネートまで、新築設計の段階から携わるこの取り組みは、見事に顧客のニーズにヒット。40代から50代の顧客を中心に大きく契約数を増やし、毎年800件ずつ新規顧客を獲得するまでに至ります。磯巳と同じく、消費者のニーズを読み取れる裕史だからこそ達成できた成果と言えるでしょう。こうした成果が認められ、1999年(平成11年)、北之坊磯巳が会長に、長男・裕史が社長に就任。新たな体制が敷かれることになりました。

    家電のプロから、住環境すべてのプロへ

  • 磯巳から裕史へとつないだ、まさご電機の50年

    2004年(平成16年)4月、創業より50周年の感謝を込めて催された個展イベントでは、わずか3日間で約1億6千万円という売上げを達成しました。会場入り口には、創業時の店頭看板を復元したり、F1のレーシングカーの展示や千本引きコーナーを設けたりするなど、来場者様に楽しんでいただける工夫を随所に配置。創業時からのお客様が駆けつけ、祝いの言葉をいただくなど、地域の人々と共に歩んできた磯巳の半生がここに集約されたイベントでした。こうして積み上げてきた磯巳の努力は、まさご電機という形になり、そして裕史へと引き継がれていきました。

    磯巳から裕史へとつないだ、まさご電機の50年

  • 年間売上げ18億円を達成

    2005年(平成17年)、まさご電機は18億円の売上げを達成。奈良県下で小売店業界第3位として、その名を知られるようになります。しかし、企業の基本精神は、裕史社長が24歳の折に学んだ経営哲学――小売業の使命は、お客様、そして、社員及び地元地域への還元にある――に変わりありません。 そこには、社員をバイクに乗せ、自ら自転車に乗って営業した磯巳が、地域の人々との間に根を生やした軌跡と、中長期計画をもって人材育成から企業提携を推し進めてきた裕史の改革性が折り重なっています。まさごの精神は、さらに次の世代に引き継がれ、新たな発展を目指していきます。

    年間売上げ18億円を達成

そしてこれから

現在の家電業界は、2011年7月24日を境とする地上デジタル放送の本格導入に始まり、新しいフェーズに入りました。
業界としては成熟市場といえる家電業界の中で、まさご電機の顧客数は、現在3万件を突破し、その数をさらに伸ばしております。
つまりはそれだけ多くのお客様と出逢えているということです。だからこそ、この出逢いを大切にしながら、リピーターになっていただけるようにサービスの追求に努めております。
これからも人材の育成、サービスの充実はもちろんのこと、臨機応変に対応できる組織作りも進めていくことで、真の増客へとつなげてまいります。